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2022年1月30日日曜日

四十の手習い~渓流釣り

 

もう10年近くも昔のお話です。


仕事の都合で赴任していた東欧の小国、
初めての海外での生活は、楽しくもそこはお仕事、大変でもありました。
いろいろとありまして、その間の帰国は全く無し。

・・・コロナ禍の昨今、今赴任している方々のご苦労が忍ばれます。


暫くの間、触れられることの無かった日本の風情。
帰任した最初の夏の週末、ふと一人で日帰りドライブに。

帰国後も続いた忙しい毎日でした。
でも、久しぶりは風任せ、気分転換は行く当てもない、一人孤独な徘徊を。

・・・今思えば、ひょっとして、年甲斐の無い「自分探し」、
何かを求めての「ふらり旅」だったのやも・・・


岐阜はR41を飛騨川沿いにひたすら北上、山に囲まれた小さな町、
そこから気の赴くまま、ふらりと左折は山に分け入る県道へ。
折れて直ぐの県道の頭上、そこには大きな蝶の看板が。

自宅を出立してから小一時間でしょうか、とある道の駅で休憩です。
その道の駅の横には、初夏の眩しい光の中、きれいな川が流れていました。


缶コーヒーを片手に土手を登り、
タバコを煙らせながら川を覗き込むと、そこには何名かの釣り人が釣りを。

その当時、「渓流釣り」の言葉は知っていましたが、
アユ釣りとの区別に至っては、とんと、知識も無く。


それでも、釣り人を眺めていると、
流されそうな急流の中、ぽつぽつとお魚が掛かります。

はた目からでしたが、それは、とても、楽しそう。


・・・何よりも、
川の流れはせせらぎの音、川面を渡る心地よい風の感触、
そして雲間から時折で照り付け、流れから跳ね返る夏の厳しい太陽、
これが「日本の風景」と申しましょうか・・・

町育ちの小生ですが、とても懐かしいもの、
それと同時に、流れに分け入る川の釣り、それに野性味を感じたのです。

おもしろそうだな・・・


山の中の渓流でお魚を釣る、という行為自体は、
その数年前にノンタンさんのご指導の元で、
僅かですが経験済みではありました。

でも、その当時は・・・

「こんな日の出前からわざわざ起き出して、
 眠たいのに朝食もそこそこ、寂しい川の際で”立ちんぼ”なんか。

 さっきから糸を垂らしているけれど、さっぱり釣れないじゃないか。
 何が楽しいンだろう?渓流釣りなんて。」

その当時も慌ただしい毎日を送っていて、 
こんな感想でした・・・


アユ釣りを見学した翌々週の週末、
ネットでさらりと「渓流釣り」を調べてから、
押し入れの奥から4.5mの安物延べ竿を取り出して、
小生のその足は、郡上八幡の小駄良川へと向かっていました。

ブドウ虫をエサにエエコロ加減な仕掛け、長靴を履いて風情ある町裏での釣り。

それでも・・・


掛かるお魚は小魚ばかり。
でも、どういう訳か、ワクワク感と共に、お魚の感触が懐かしくも楽しくて。

・・・その釣行の翌週、早くも漁協で年券を購入。
その夏は毎週末で「郡上詣で」でした。



今思えば、なぜ、こんな気負いが在ったのか。
「毎週末で釣りに出かけて、これで良いのだろうか?」


ご多分に漏れず、30~40代は「仕事漬け」の毎日でした。
ふっと、40代も後半に差し掛かり50の手前、若干で時間に余裕が生まれ。

それでも心のどこかに、
今までと違う生活の変化、渓流釣りという趣味が加わった生活、
それに戸惑っていたのかも知れません。

・・・自分から進んで選んだ「変化」なのに。
いえ、だからこそ、負い目があったのかも??
今では釣行の朝、全くそんな感覚は無くて・・・


釣行から帰宅した夜は、夕食が美味しくて、とてもぐっすりと眠れます。

そして、週明け。
むしろそんな週明けの方が、しっかりと集中できるような。

・・・ただこれも、土曜日午前の釣り、それに限りますね。
小生、50代も後半、日曜日の釣行は翌日に響いちゃって・・・


もう間もなくで、渓流釣りが解禁です。
仕掛け、装備、それからシーズン中は疎かに成りがちな家事一切。

そんなことを片付けながら、
なんでウキウキしながら糸を繰っているのか、
冷静に第三者目線で自分を見てしまう、今日この頃の小生です。


<渓流風景はその当時の馬瀬川下流と、その後に通った郡上八幡から>