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2017年1月1日日曜日

小牧~愛藤山 小松寺

ご諸兄各位殿


ご近所に小松寺と言う名のお寺があります。
数年前に正門と塀を改修して、外から眺めると今は新しいお寺に見えます。


しかし、その正門の両脇、左右の透明な保護ケースの中には仁王様が。
ギョロリとにらみをきかせて。
大きさは2mを優に超え大きく・・・歴史を感じさせます。



Wikipedia によるとこのお寺、最初の建立は8世紀ころ。
幾たびかの焼失を経て、今日の姿があるようです。

お寺の直ぐ横には小さな熊野神社があり、小生の住む団地の住民、
新年の1月15日に行う「どんど焼き」はこの神社の境内で行います。


その境内に小牧・長久手の合戦と、この小松寺山砦跡についての説明札が。


小牧・長久手の合戦は皆様もご存じと思います。
信長亡き後の秀吉と家康の覇権争い、結果は家康の勝利でした。

ここ小松寺山近辺には羽柴秀吉方の三好秀次、丹羽長秀らが布陣。
秀吉方本体はここから10kmほど北方の犬山城に。
対する徳川家康方は小松寺の南方は数kmの小牧山城に。

・・・小生宅から小牧山まで自転車でも30分ほどの指呼の間。
実際、小生宅の二階からも小牧山はよく見えます。
下の写真は小松寺境内から小牧山を望み。


合戦では暫く続いた膠着状態を打開するため、秀吉方が家康の本拠地、
三河に向けて池田恒興 、森長可らが「奇襲」を敢行。

ところが、この秀吉方の軍勢、ここ小松寺山砦を出立する際、周囲に火を放ち・・・
小松寺もその際に焼失しました。

でもこれ、「奇襲」じゃないですね。

小生、まま「渓流釣り」と「戦(いくさ)」を重ね合わせます。

渓流釣りの真骨頂は「木化け石化け」、こちらの気配を秘して隠すこと。
よもや、お魚が見えるときは、お魚からもこちらが見えている、と考えます。
よって、いつでも河原では、出来うる限りで、抜き足・差し足・忍び足。。。

戦でも、それは同じなのでは?
小牧山がま~る見え、と言うことは、小牧山からも、こちらがま~る見え。
火を放てばその登り立つ煙で軍勢の始動がバレバレ。

おまけに恒興らの進路は今の名古屋は守山区、小幡城に向けて・・・
尾張東部丘陵地帯の西裾をモロで南下、何を考えていたのやら。。。

秀吉方の配下には、ご当地出身の丹羽長秀も居たというのに、この失態。
・・・多分、秀吉方は寄せ集めの軍勢、統率が取れなかったのでしょうか?

結果、恒興 、長可らは途中、長久手で追っ手と交戦、討ち死にでした。


殿!
ここは岩崎、二重堀、小松寺山の諸隊はそのまま小牧山へにらみを効かせつつ、
小口、羽黒、楽田の前線を密かに犬山まで後退、可児~多治見~瀬戸経由で
戸越峠より三河に入られることを具申します・・・
さすれば、お味方の奇襲作戦は必勝!

実はこのルート、小牧~高蔵寺~瀬戸品野・赤津~藤岡からの県道33号線は、
秋のメチャ混みな飯田街道は香嵐渓、それを回避して神越渓谷、野原川の釣堀へ
渋滞なく抜ける、小生オススメの経路!


今年の比較的に暖かい元日。
家内と一緒に例年の如く、これまた近所の田県神社へ初詣。
帰路はこの小松寺でもお参りをして・・・

今年一年、願うは家内安全、無病息災。
やはり、これでっしょ?

そして、当方の奇襲作戦、その必勝の暁として、「尺上アマゴとサツキマス」です!



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