ご近所に小松寺と言う名のお寺があります。
数年前に正門と塀を改修して、外から眺めると今は新しいお寺に見えます。
しかし、その正門の両脇、左右の透明な保護ケースの中には仁王様が。
ギョロリとにらみをきかせて。
大きさは2mを優に超え大きく・・・歴史を感じさせます。
幾たびかの焼失を経て、今日の姿があるようです。
お寺の直ぐ横には小さな熊野神社があり、小生の住む団地の住民、
新年の1月15日に行う「どんど焼き」はこの神社の境内で行います。
その境内に小牧・長久手の合戦と、この小松寺山砦跡についての説明札が。
小牧・長久手の合戦は皆様もご存じと思います。
信長亡き後の秀吉と家康の覇権争い、結果は家康の勝利でした。
ここ小松寺山近辺には羽柴秀吉方の三好秀次、丹羽長秀らが布陣。
秀吉方本体はここから10kmほど北方の犬山城に。
対する徳川家康方は小松寺の南方は数kmの小牧山城に。
・・・小生宅から小牧山まで自転車でも30分ほどの指呼の間。
実際、小生宅の二階からも小牧山はよく見えます。
下の写真は小松寺境内から小牧山を望み。
合戦では暫く続いた膠着状態を打開するため、秀吉方が家康の本拠地、
三河に向けて池田恒興 、森長可らが「奇襲」を敢行。
ところが、この秀吉方の軍勢、ここ小松寺山砦を出立する際、周囲に火を放ち・・・
小松寺もその際に焼失しました。
でもこれ、「奇襲」じゃないですね。
小生、まま「渓流釣り」と「戦(いくさ)」を重ね合わせます。
渓流釣りの真骨頂は「木化け石化け」、こちらの気配を秘して隠すこと。
よもや、お魚が見えるときは、お魚からもこちらが見えている、と考えます。
よって、いつでも河原では、出来うる限りで、抜き足・差し足・忍び足。。。
戦でも、それは同じなのでは?
小牧山がま~る見え、と言うことは、小牧山からも、こちらがま~る見え。
火を放てばその登り立つ煙で軍勢の始動がバレバレ。
おまけに恒興らの進路は今の名古屋は守山区、小幡城に向けて・・・
尾張東部丘陵地帯の西裾をモロで南下、何を考えていたのやら。。。
秀吉方の配下には、ご当地出身の丹羽長秀も居たというのに、この失態。
・・・多分、秀吉方は寄せ集めの軍勢、統率が取れなかったのでしょうか?
結果、恒興 、長可らは途中、長久手で追っ手と交戦、討ち死にでした。
殿!
ここは岩崎、二重堀、小松寺山の諸隊はそのまま小牧山へにらみを効かせつつ、
小口、羽黒、楽田の前線を密かに犬山まで後退、可児~多治見~瀬戸経由で
戸越峠より三河に入られることを具申します・・・
さすれば、お味方の奇襲作戦は必勝!
実はこのルート、小牧~高蔵寺~瀬戸品野・赤津~藤岡からの県道33号線は、
秋のメチャ混みな飯田街道は香嵐渓、それを回避して神越渓谷、野原川の釣堀へ
渋滞なく抜ける、小生オススメの経路!
今年の比較的に暖かい元日。
家内と一緒に例年の如く、これまた近所の田県神社へ初詣。
家内と一緒に例年の如く、これまた近所の田県神社へ初詣。
帰路はこの小松寺でもお参りをして・・・
今年一年、願うは家内安全、無病息災。
やはり、これでっしょ?
そして、当方の奇襲作戦、その必勝の暁として、「尺上アマゴとサツキマス」です!
やはり、これでっしょ?
そして、当方の奇襲作戦、その必勝の暁として、「尺上アマゴとサツキマス」です!