2018年11月24日土曜日

放浪癖

ご諸兄各位殿


愛知県西部にお住まいの方はご存じでしょうが、
瀬戸街道という古い道があります。



地図を見てみると、名古屋は東区矢田から東方へまっすぐ、
ほぼ名鉄瀬戸線(瀬戸電)に沿って、尾張旭市を抜け尾張瀬戸駅前まで。


母親の姉、小生から見るとおばさんが、
その瀬戸市は赤津に嫁いでいました。

おばさんの子供はいとこのもとき君。

小学校の低学年は毎年の夏休み、
母親に連れられて、この瀬戸市の里山にあるおばさんの家、
もとき君の元へ遊びに行くことが、とても楽しみでした。

町育ちの小生。
もとき君の家の近所は田畑に雑木林、
そして小高い山と渓流とは言えぬ小さな小川。
そこでカエルやザリガニを捕まえたり、
夏の夜は真っ暗な空の下、薄らと透けて見える天の川を覗いたり。

そのいずれもが、普段は縁の無い遊び、とても新鮮でした。


今でこそ、東海環状道が走り、行くことがさほどでもない里山。
しかし、昭和40年代はそんなものも無く・・・


まず、小生の生家近くは名古屋市中区の古渡バス停、
そこから市バスに乗りR19を北上、瀬戸電の大津町駅まで。

・・・当時の名鉄瀬戸線は、現在のように栄町には乗り入れていなく、
名古屋城のお堀の中をクネクネと、堀川まで延びていました。

そこから瀬戸電で、瀬戸街道を横目に尾張瀬戸駅まで。
旧式の電車、カーブが多く駅も多い路線、誠にのんびり。

それからまた、名鉄バスに乗り換え、ようやく赤津のバス停へ。
またまたそこから、山の中の県道を徒歩で20分ほど。


どうでしょう・・・
所要3時間くらいの、距離の割には長い旅でした。



ある夏は父親が自家用車を運転、
ひたすら瀬戸街道を東進して行ったことも。
瀬戸市は古瀬戸のT字路を右に曲がって赤津方面へ。


どういう訳か、はたまた、遺伝なのか素養なのか?
幼い頃より地図勘・土地勘・帰巣本能が冴える小生でした。
父親の運転・道順をつぶさに観察・・・

「これ、ひょっとして、瀬戸街道をまっすぐ走り、
 古瀬戸のT字路さえ見逃さなければ、
 自分一人でも、もとき君の家に行けるかも。」

小学校4年生の夏でした。


もちろん、そんな歳です。
自動車はおろか、原付さえ乗れません。
あるのは親からもらった足、そして自転車のみ。

・・・小学校には学区外へ行くときは親が同伴、
などという、訳の解らない決まりがありましたが、
小生は悪ガキ、そんなモノはクソくらえ!!
既に名古屋市内なら自転車で、どこにでも行ける自信が。


となれば、小さな冒険の始まりです。
ポケットに100円玉を5枚だけ忍ばせて、
20インチは子供用、5速ギヤの自転車にまたがり。





決行は夏休みのとある朝。
もち、心配を掛けまいと親には内緒(今でも内緒です)、
堀川をさかのぼり、名古屋城、黒川、大曽根、そして矢田。

ここから瀬戸街道を東進・・・

途中は雑貨屋でペプシかチェリオで喉を潤し。
瓶入りが一本50~60円だったかと。

お昼頃には順調に尾張瀬戸駅前に。
ここでユニー瀬戸店の中、寿がき屋で180円のラーメンを。


昼食の後は陶器の町、瀬戸駅前は白く濁る瀬戸川沿いを古瀬戸のT字路へ。
ここからの県道はチョットした山越え、自転車には厳しい坂です。


♫ 疲れを知らない子供のように~♫
全くです、今では、とても、マネできまへん。


小高い峠を越えれば、そこには瀬戸市立東明小学校が。
もとき君の学校です。


赤津を越えて白坂町は雲興寺・・・
とうとう、やってきました!
長旅の終焉、到着です。


もちろん、ここでも、
隠密行動は誰にも挨拶、声を掛けることも無く。
・・・もし、おばさんに知れたらエラいことに。


自画自賛は独りよがりな自己満足、達成感だけを噛みしめて、
今来た道を名古屋に向けて帰るのでありまする。
・・・夕食時には素知らぬ顔でちゃぶ台に。


少年は一夏の一人旅。


50の坂を登る(下る?)小生ですが、
今でも渓流釣りに赴く朝は、あの時と同じようなワクワク感が。

もちろん、お魚を釣ると言う楽しみもありますが、
その山深い渓流まで行く道中、冒険・旅立ちの感覚。

ただし一方で、ここ最近は車の運転が面倒、
ドラえもんの「どこでもドア」にもあこがれる一面も。
・・・こちらの感覚は年相応!?

幼かった頃のあの感性は、いつまでも持ち続けたいものです。


<写真は今朝の放浪?いえ、散歩から。スマホで撮影と多少で調整。>