GWの前半は良いお天気に恵まれました。
その中盤での家内とのお出かけは天橋立まで。
決して裕福では無い学生の頃、中古125CCは2サイクルの単車で。
あの時は夏休み、往路は広島まで山陽道、帰路は山陰道を一人旅。
ユースホステル(今でもあるのかな?)を泊まり継いで、
その帰り道に立ち寄りました。
当時の山陰道には高速道路など無く、
・・・いや、有っても125CCの貧乏単車じゃ通せんぼ。
今は北陸道から舞鶴若狭道と綾部宮津道が延びてとても便利。
それでも結構な道のりは自宅の愛知県から200km・・・
当初、今回の旅行の宿泊は城崎温泉を予定していましたが、
手前の天橋立にして正解でした。疲れたと同時に、当時の自分の「若さ」に脱帽です。。。
当時は古びた木造駅舎の記憶であったJRの天橋立駅。
今は丹後鉄道と名前が変わり、近代的、でも良い雰囲気の鉄筋駅舎です。
そこから少し歩いた山裾、
スキー場で見かける一人乗りリフトに乗り展望台へ。
・・・こんな便利はリフトも当時は使った記憶がありません。
リフトの乗り場。
斯様な緊張を強いられる場面では、
必ず何かをヤッて頂ける我が家内。
乗り場のおにいさんが手招き、
着席ポイントまで進まなければ
ならないところを要領を得ず、
結果、間に合わず一席が通過。
家内もですが小生も、
手に汗を握ります。
・・・小生は笑いを堪えての。
でも、おにいさんは心得たモノ。
「慌てなくても良いですから。次のリフトに乗りましょう!
さあ、前に進んで下さ~い。」
上手くリフトに乗ってからも、座席横の支柱をグッと握る家内。
あれは、間違いなく、テンパってます!
それでも、頂上に着いてから、心地良い風が吹き抜け。
その展望は最高でした。
その展望は最高でした。
展望台を降りてからは丹後半島 伊根の舟屋を尋ねます。
海沿いに並び二階が住居、一階が舟の駐機場の舟屋。
波静かな湾内ではこそ、機能的に出来ています。
山側・路側から見ても、その様子は解りかね、遊覧船で海側から。
渓流釣りをしていると、郡上八幡あたりにお住まいの方は、
毎日が川に近くて良いな~・・・と思っちゃいます。
ここ丹後伊根も似た感じ、直ぐに釣り船が出陣可能な様子。
・・・とは言え、それはお仕事。
遊覧船のアナウンスにもありましたが、その昔は道も無く、
海上航路が唯一の生活の足だったと・・・それはそれで大変です。
きっと、吉田川添いにお住まいの方々も、
脳天気・世間知らずの小生では解りかねる、ご苦労もあるのでは?
・・・「他人の家の芝生は良く見える」ですね。
遊覧船で湾内を航行していると、海鳥達が寄ってきます。
カモメやウミネコ・・・を想像していましたが、
主役はむしろ茶色く大きな鳥・・・トンビです!
舟客が投げる「カッパえびせん」を見事にキャッチ!
♫ 我ら~は、皇軍~、戦闘隊~~ ♫
上手いものですが、多数での顔面スレスレの飛行には恐怖を感じました。
次の日の朝は曇天の下、今少し天橋立近辺を散策。
その後・・・スマホで雨雲の様子を確認すると、
今から雨が降ってきても、おかしくは無い案配です。
天橋立ワイナリー(家内は酒豪!)、丹後ちりめん館(これも家内向け)、
いずれにしようか迷っていましたが、
宿泊先で渡されたパンフレットは、出石の城下町が目に留まり・・・
本降りじゃ無ければ、雨の城下町もオツなもの・・・決まりです!
一山越えて兵庫県は但馬の国へ。
パンフレットによれば出石城、江戸時代のお殿様は仙石氏。
信州信濃からお国替え、その時に、蕎麦職人を引き連れて。
以来、ここの名物は「皿そば」とのこと。
家内共々、小生も頂きました、その「皿そば」。
いえ、何のことは無く、「皿そば」は小皿に分け盛られたお蕎麦、
それを複数の薬味で楽しみます・・・2皿追加で7皿食べました。
最初はつけ汁だけで・・・次に刻みネギ、大根おろし、とろろ芋。
果ては生卵を落として、最後はソバつゆで締め。
基本は信州で頂く「ざるそば」ですが(生卵は入れないかな?)、
小皿に小分けされた「皿そば」、おいしかったです!
仙石のお殿様は、前任地の信濃で覚えたお蕎麦の味、
それががとても忘れられなかったのでしょう・・・
雨も本降りになってきて、時刻もお昼過ぎ。
さあ、この旅も帰路を残すのみ。
円山川支流は出石川をさかのぼり、福知山のR9までR426を。
この出石川・・・
拙い渓流釣りの経験ですが、砂が多く余り渓魚向きとは言えず。
しかし、登尾峠のトンネルを越えた由良川の支流は佐々木川、
結構な渓相です・・・カッパを着たご同輩と覚しき釣り人も。
旧海軍の軽巡洋艦名を冠した川、
木曽、長良・・・そして由良、どちら様も渓流釣り向き。
また、何年かしらの時を超えて、次回は釣り竿担いで来ましょうか!
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